ひこうき雲と母が残してくれたもの

お久しぶりです!
弟です。



兄の投稿にもありましたが、
4月に母が出直しました。

母と僕






天理教では死を「出直し」と表現します。

身体は神様からの借り物で、
死んだ時に身体を神様に返し、
魂は新しく身体を借りて
生まれてくるという
死生観からです。


母の詳細は兄が書いてくれているから
そちらを見ていただきましてw
兄投稿
「母の日に」









母は気さくな人で
誰にでも話しかける人です。


僕の友達の台湾人と
スーパーで出会い、LINEを交換していたり
僕の友人と気さくに喋って
友達みたいになっていたり。

姉の友達の恋愛相談を
受けたりもしていましたw


お悔やみの時に
ある奥さんは

「田舎からやって来て
誰も知り合いのいない中に
話しかけてくれたのが奥さんだった。
本当に救われた」

とおっしゃって下さいました。


同じようなことを数人から聞いたので、
多分意図的にやっていたのでしょう。

スッと手を
差し伸べている姿が想像できます。




入院していた時も
同室の方に喋りかけて
おさづけ(お祈り)を取り次いだり。



知らない人に喋りかけるのが得意ですし、
自分の空気で
相手を包み込むのが抜群にうまい。

そしてその空気は
抑圧的なものでは決してなく、
楽しい雰囲気そのもの。



つまり、母は自分のペースに
持っていくのが上手で
ついつい笑ってしまう。

そんな人でした。


今まで出会った人で、母と喋っていて
母の空気に負けていない人は
多分数えるくらいしかいないです。



また、人と人とのつながりを
非常に大切にする人でした

35年前の修養科の同期と
ずっと繋がっていたり、
鳴物の生徒さんともずっと繋がっていて、
夕食の時に


「◯年前修養科の生徒さんやった
◯◯さんおぢばに帰ってくる」


と、向こうから連絡が来ていたり。



そして相談事もすごくされていたようです。
信頼感が違いますからね。

10年オーバーの付き合いの
修養科の先生ですから。




なんでそんなに
いろんな人と繋がれるかというと、
積極的にコミュニケーションを取るんですね。

グイグイ聞きます。

自分の話もしますし、
相手の話も聞きます。
自身が初めて修養科に来た時の話や
子どもの話。
(つまり私達の話)



そうやってお互いの仲
を深めていくのが楽しかったようです。


うちの娘と母




母が出直してから数日後
母のことをつらつらと考えていた時に
急に心にストンとおさまった。






僕は母のような人になりたかった。







しんどいだろうなぁという人に声をかけて
エネルギーを分け、
友達とずっと繋がり、
周りの人のテンションをあげて勇ませる。
息子娘に惜しみなく愛を注ぎ込む。




それがわかった時、涙が出ました。




なぜもっと早く気づかなかったんだろう。
こんなに良い手本があったのに。


でも、今気づけて良かった。
母は陽気な人だったから、
お悔やみに来た奥さん方も泣きながらも
面白かったエピソードを
語ってくださいました。


お悔やみにも想像もつかない
多くの方々が来てくださいましたし、
お葬儀にも沢山の人が来てくださいました。




数が結果とは言いませんが、
母はみなさんに
慕ってもらっていたんだなぁと
思うには十分すぎる人が
きてくださいました。



母のことを思うと、
まずは寂しいという気持ちになるんです。


もう2度と声は聞けない。
笑いあったりできない。
子どもを抱っこしてもらえない。



でも、次に楽しかった思い出が
蘇ってきます。



小さい頃一緒に買い物に行った思い出

おつかいをしてきた時の喜んでくれた顔

バスケの応援に来てくれた時のこと

大学生の時にいろんな
サポートをしてくれたこと

結婚する時の涙



僕は出来のいい子どもではなかったけど、
いつも母は僕を褒めてくれました。


その思い出が寂しさの後に溢れてきて、




悲しいけど楽しい。



そんな不思議な感情になります。







母が出直す前日に、
もうすぐ生まれてくる子の名前を
母に伝えました。

母はにっこりと両手でサムズアップ。







その子が最近生まれました。
名前は「陽咲(ひより)」


母のような子に育ってほしいし、
僕も母のような
親になりたいと思いました。








母の合祀祭の御神酒。こういうとこまで母らしい



少し前に合祀祭が行われました。
悲しい思い出ではなく、
楽しかった出来事を
死後も笑顔で語られる。

これってすごいことだと思います。
御神酒も母らしいもの。
天気はもちろん快晴。



母はいつまでも、いつまでも
母らしいのでした。

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