読書百遍意自ら通ず

こんにちは!弟です。

今日は雪降ってましたね…



今日は暗記について。

例えば、
僕は勤務の時に
部署で何かしらを読み上げます。


天理教の仕事をしているので
「八つのほこり」
「十全の守護」
などを読み上げます。


慣れてくると、これを暗記して
紙などを見ずに
言えるようになるんですね。



歌詞なんかもずっと聞いてると
同じことできますよね。



僕は少し前まではそうしてました。
紙を見て読み上げるのは
自分の心に
しっかり入ってない現れだ
 思ってましたから。



でも、最近は
紙を見るようにしています。


なぜか?



それは、
1度収まったと
思ったものでも、
文字になっているものを
改めて見ると
感じが違った
から。




小説などでも
1度読んだ物語を
時間を置いて改めて読むと
「あれ?こんな話だったっけ?
前とずいぶんと印象が違うな」
と思ったことはありませんか?



これは成長怠惰
二つのパターンがあります。



ほとんどは成長です。
同じ文章でも
意味理解をどれだけしてるかというと、
意外としていないんですよね。



掘り下げられていないんです。
それを何回も読むことによって
どんどんどんどん
意味合いが深くなります。



僕はずっととある文章を読んでいて
ある日、唐突に
「あ、
これって
こういう意味
だったんだ」
と理解したことがあります。

その域まで掘らないと
理解が得られないんだなと
身を以て経験しました。



それからは文字を見て
暗記していても、
文字を見て読むようにしています。





これ、
文章に限らずに
言えることだと思うんですけど

僕たちが幸せになる為に
陽気ぐらしをするために必要なこと
日常、普通を再考する
再構築する
これが重要なんだと思います。


味わうといいますか。



日常生活は何をしなくても
流れていきます。
普通に。

でも、その普通を再検査して
「有難い」に再構築できたら


毎日は劇的でなくとも
じんわり幸せになるかなって思います。


皆さんも暗記や
毎日の普通になってること
再確認してみましょう!!


楽しくなってきたりしますよ!!



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