チェーンが朝6時に切れた話


皆さん
あけまして
おめでとうございます!!


今年も!!
2020年も!
急ブレーキ!
更新速度がそこらへんのブログと
同じぐらいになってしまったこの
たのみちを!!
よろしくお願いします!!!!!








…さて!!!!


年末の早朝6時。
自宅から30kmくらい離れた
明日香村の多武峰という峠で

チェーンが切れました。



この絶望感
周りには何もない






もう絶望というより
笑いましたね。
意味わからん過ぎてwww



そして明日香の朝は-1℃でした。
凍えるかと・・・・

偶然近くにいた自転車乗りの方のおかげで
チェーンもどうにかなり、
多武峰をヒルクライムして
帰ってこれたのでした。





帰ってから考えました。
ありがたいなぁ。
自分のしたい事もあったのに
なぜ助けてくれたのかなぁ。


僕が声をかけたのもありますが、
「ロードバイク」という趣味の
共通点があったから。

似たような境遇にあった事があるのかもしれません。
時間も45分とすごくかかりましたし、
手間もかかったのに
その人は笑顔で
「お待たせしましたー!」
とやって来てくれたのでした。



有事の時の日本人の助け合う心は
素晴らしいものがあると思いました。





話題は変わりますが、少し前に衝撃的なニュースがありました。

「日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった」
その中の文章をいくつか抜粋します。

『大規模災害時などの非常時を除けば、
日本人の「共助」に対する姿勢は、
案外消極的なのである』

『他者に対する「贈与」は、
顔見知りの狭い仲間内の範囲で
行われることが多く、
見知らぬ他者に対してまでは広がっていない』

『日本人は、家族・友人・同僚という
「内輪」には優しい
(甘えと内輪びいきを許す)のかもしれない。
しかし、「内輪」の範囲を超えた
他者に対しては、結構冷たいのである。』


震災などの時は日本人はすっごい力を
発揮します。してきました。
でも1度きりに近く、冷めてしまった熱は
もう一度上がることはほとんどないんだとか。



緊急時は誰でも助けられる。
でもそれ以外の時は、少しの面倒は避けたい
そんな人が多い気がします。


自分の予定にアクシデントが入るのが嫌だということもあるかもしれません。

また、他人に構う余裕がない
生活だからかもしれません。



理由は幾重にも重なっている気がします。




でも、逆に考えると
「助けて」と声をあげると
誰かが必ず助けてくれる社会。
これってめちゃくちゃ素敵だと思うんです。


理想かもしれません。
でも、これは行政でどうこうできる
レベルの話ではない。
僕たちの心次第でどうとでもなる問題なんです。

どうか、この文を読んだ方は
周囲の人がどんな些細なものでも
SOSを発信していたら
助けてあげて欲しいんです。
また、自身がそうなった場合は
誰かに助けてもらって欲しいんです。


「助け合いが嫌いな日本人」
ってレッテルは剥がしたい。
助けるのも助けられるのも
得意な日本人になりたい。


「助け合い」はかめはめ波のような、
いざという時の必殺技ではありません。
エネルギー弾のような、いつでも繰り出せる通常攻撃です!!

つまり、日常で普通に使われるもので
とっておきのものではなく、
もっともっと行われるべきだと思うんです。

その方がお互い困ったことなくなりますしね。
チェーン切れても安心できる社会。
素敵!!(笑)




お互いに普通に助け合える世界を目指しましょー!!
pay forward!!
多武峰から明日香村を見下ろす


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