たからもの②~原点回帰~その2

こんばんは!😊兄です❗

長期間に渡って投稿しています!

たからもの✨

お陰さまで、毎日色々大変で

全然更新できません(笑)( ̄ー ̄)

有難いですね✨✨✨✨




さて、

前回
たからもの~原点回帰~その1
https://tanoshiminomichi.blogspot.com/2019/11/1.html?m=1

では、中学2年生の時に

ひきつけを起こしてしまいました。

検査の中でわかった

私の左脳の一部が死んでいる事実…

生活は一変し、
思春期にも関わらず、お風呂に1人で入れず、兄弟と入らなければならない。寝るときも1人で寝られない。
激しい運動は出来ない。

そうして、日々の生活にどんどんと制限がかかり、引き付けを起こしてちょうど1年後の同じ日に再び引き付けを起こしたのでした。



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その後、病院では医者より

『思春期の間は再び引き付けを起こす可能性があります。それを押さえる強い薬をのみましょう』

と言われました。

そこへ父は

『次引き付けを起こせば、必ず薬を飲ませます。なので、今回だけは様子をみることにしてください』

と頼み込み薬を飲まずに済むことになりました。


そうして高校3年生になったとき

ふと思ったのです

大学は東京の大学に行って親元を離れよう

今の辛い環境から逃げよう

何なら、そこで就職をして行方をくらまそう



そう思い、指定校推薦で

関東圏にあるの建築学科に進学を決めました



そして2004年の4月から東京で寮生活が始まりました。

初めて自由になった気がして、4年間は東京での生活を満喫しました

しかし、いざ3年の途中から就職活動をするとなったタイミングで

見事に精神的に病んでしまい、部屋に引きこもってしまいました



結果的には就職叶わず、奈良県天理市に戻ることになってしまいました。


帰省後は
天理教内の営繕部建築課で勤務させていただく予定であり、営繕部の部長さんに挨拶に向かうと


『お前はそのまま帰ってきても、役に立たないから世間で勉強してこい‼️そして、一級建築士を取ってこい』

と言われ、一転

大阪にある建築の会社で勤めることになりました。

私としてはラッキーと思いました。

しかし、実家から通う毎日に私はやはり、

家にいたくないなと思い、夜な夜な飲み明かして、そのままインターネットカフェで仮眠


そして出勤!というような日を度々繰り返していました。


そして、4年後勤めた後、


改めて営繕部長さんに挨拶に言うと、


『おっ!お疲れさん。少しやすんでいいぞ』

ということで26歳の私は






一般の社会人からニートに早変わりしたのでした。





そこで、私はまだ約束の一級建築士の資格を取得できていないなと思い黙々と勉強をし始め


一級建築士試験を受験


二次試験(最終試験)の製図試験の模擬採点の結果が


100点満点中 94点を叩き出しましたが


見事に落ちました。


本当に何をやっても上手くいかないな。

そんな諦めに近い感情が私を支配していました。


たからもの③~原点回帰~その3へ続く

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