成長度合い×さんさい心

こんにちは。

娘がよく僕にハンドオフしてきます。
弟です。
これがハンドオフ。娘は的確にアゴを狙ってきます。




「喃語」(なんご)
という言葉をご存じでしょうか?
乳児が発する意味のない言葉の事です。
「あうー」とかそういうのです。



うちの娘には特有の喃語がありまして、
事ある毎に
「んげ」
と言います。
笑うときに「んげげげ!」
何かの節に突然「んげ」
って言ったり…

田舎者丸出しの喃語…(笑)



先日の誕生日。
朝!娘に
「おはよー!誕生日おめでとー!」
と言うと、娘の喃語に変化が。
そしてこのふてぶてしさよ



「あぱあぱあぱ!」





と言うようになり
その代わりに「んげ」って
全く言わなくなりました(笑)

いつもは「んげ!」とよく言っていた娘。
1歳になった今日から「アパ!」と言うように。

何故…?(笑)#1歳#赤ちゃん#アパ pic.twitter.com/JiYTElSyq1

— Shinomori@笑顔クリエイター (@shinomori_y) July 8, 2019 div>



え?
ナニコレ?
iPhoneみたいに寝ている間に
OSアップデートされたの?

妻と一緒に
笑ってしまいました(笑)






また、数日後
楽道講の講社祭の時。

娘はつかまり立ちはできますが、
まだハイハイはできません。

「ハイハイいつ
できるようになるかなー?」

と思っていたのも束の間。
父が祭文を読んでいる時に


何の脈絡もなく、
突然ハイハイを
しだしたのです。


あまりに突然だったので
僕は気づかず、
妻が指差して教えてくれました。
笑いを堪えるのに必死でした(笑)

 


この2つの出来事から
思ったことがあります。

僕たち大人は、ついつい成長というものを
階段のような形ですると思っていがち。
実際大人は一つずつ何かをこなして
一つずつ上手くなっていきます。



しかし、赤ちゃんだけに限らず
小さい子の成長は階段よりも
もっと突然ステップアップします。


一つができたら三つも四つも
できることが増えていきます。
三差路のように色んな
可能性・方向性が出てきます。


もちろん、身体的な理由もあります。
赤ちゃんは筋肉がまだまだ未発達ですし。




しかし、精神的なものも
関与しているのでは?
と最近思います。


天理教では「さんさい心」
と呼ばれるもの。
わかりやすく言うと童心ですね。



色々な欲に囚われず、先案じをしない。
無心で陽気に遊ぶ
何に対しても新鮮に喜ぶ

子どものような心で日々を過ごす。
そういう心の使い方だと僕は思います。
婦人用の本のタイトルになっています



娘は3歳にも
なってないですけど(笑)


大人と違い、雑念がないんですよね。
没入しています。



昔何かの本で読みました。
「大人は怒っていても
頭の中に冷静な自分がいる。
赤ん坊や動物は怒るときは
彼らの全てが怒っている」
そんな内容だったと思います。


僕たち大人は
先に不安を感じ、過去に後悔し、
常に色んな事に考えを巡らせています。
だから成長の過程でも
前後左右を見て色々な事を考えています。


対して子どもは考えることなく、
いつでも目の前の事に全力です。
遊ぶことにご飯に睡眠に。




その全力、
そして今を楽しむ姿勢。

忘れていたなぁと思います。
全てに全力




僕は大人の目線で娘を見ていました。
大人と同じ成長の形を取ると思って
1つ1つしかできるようにならない。


そんな風に思っていたんですね。



思えば僕自身もトントン拍子に
成長できたり、上手いこと事が運ぶときは
だいたい良い意味で何も考えていない時。
雑念がなく、必死に没入している時でした。




天理教原典の1つ
おさしづにこうあります。



三才児、生まれ三才の心に成って、

明日は楽しみ。

・・・・・・

三才児三才心に成りて、

三才の心に成って何も要らん。

機嫌好う遊んで結構々々。

(『おさしづ』明治20年3月)



さんさい心を忘れず、
良い意味で目の前の事に
もっと楽しんでいかなきゃなぁと
思いました。


本当に娘に育ててもらってるなぁ…

ありがたい!

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