親から子へ

おはようございます!
完全禁煙!
体重増加!
内臓脂肪の権化、弟です。


ああ痩せたいなぁー(笑)
毎日好きなモノを
好きなときに
好きなだけ食べたい

毎日お腹いっぱい食べて
痩せたいなぁー…
(デブの発想(笑))







先日、
みちのとも立教181年11月号の
あるページに目がとまりました。




中学生の娘に携帯を持たせると、
四六時中メールをしている。
友人からメールで悩みを打ち明けられ、
相談を受けているという。
ある日、娘の友人が「死にたい」と
メールしてきたので、一晩中励まし続けた。

母がメールの内容を見るとビックリ!
自身が電話でおたすけをしている時の
お話と同じような内容が書かれている。

「ああ、こうやって子供に
信仰が伝わっていくんだな」
と感慨深いものがあった。


という旨のものです。





子は親の背中を見て育つ
といいます。
「背中を見て」というのは、
本人(親)の意識しないところも
見ているという意味なのでしょう。



実は、僕は高校生くらいまで、
天理教を信仰する気は
そんなにありませんでした。

そこそこくらいの信仰をしよう
と思っていました。

しかし、ある日の夕づとめ。

父が人の助かりを願い
神様に手を合わせている後ろ姿を見て
感銘を受けました。



真似をして合掌してみましたが
何かが違います。


父は何人の助かりを願って
何万回も手を合わせたのでしょうか。
得も言われぬ
柔らかさ、優しさが
その手にはありました。



あの合掌をやってみたい。
できるようになってみたい。

それが信仰を真剣にしようという
要因の1つになったのです。



文字通り僕は
父の背中を見て
自身の信仰を決めた訳です。




僕の父は厳しい人で
「する事をせぇ」
ずっとそう言われて育ちました。
成すべき事を成せ。
与えられた義務をしっかり果たせと。


子供心に面倒だと思っていました(笑)
「うるさいなぁー」と思っていました。

でも、大人になって、気がつけば僕も
同じような事を言っていました。
(偉そうですが)
後輩を指導するときに、
自身の行動の価値判断に。


大人になった僕の心に
それがしっかり根を張っています。




子は親の背中を見て育つ。
しかし、
心からの言葉も
しっかり聞いて
育つんだと思いました。





僕は子どもに何を残せるだろう?





そんなこともたまーに考えます。
まだ産まれて10ヶ月なのに(笑)


父もこんな風に考えていたのでしょうか。
その気持ちを
考えられるようになったのも、
微々たるものですが
心の成人(成長)を
させていただいたんだと思います。




僕は子どもに
「どんな時でも喜ぶ心、
楽しむ心」
を信仰を通して伝えたいと思いました。

それには、
やっぱり口で言う以上に背中で
見せないといけないんだと思います。
どんな事でも「ありがたいなぁ」
と喜ぶ父の姿を!!!

そして、夫婦仲良く過ごす姿を!!!


まだ目標にはほど遠いですが、
まずは小さいことから。


そう思い、お昼に家族で参拝したり
お昼ご飯作ったり。

それで喜んでくれるから楽しいです。



しっかり土台を作っていきたいと思います。

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