いつでも仲良く(^^)

おはようございます!(^^)兄です!

先日、夫婦で夕ごはんを食べ終えたときに

妻とこのような会話をしていました

 とある仲良くさせてもらっている天理教の教会の元会長さん(Rさん)とその奥さん(Yさん)がいるのですが、


数年前から
 奥さんのYさんの方に痴呆の症状が出始めて、最近介護施設を利用するようになっていました!


一方旦那さんである元会長さんRさんも最近物忘れをするようになってきたそうで、

二人とも脳のCTを取ることになったそうです。


そこで、出た結果は

痴呆の症状が出始めていたYさんは

ほとんど脳の状態には代わりはなく


逆にRさんは、脳の記憶をつかさどる海馬という部分がYさんよりも萎縮しておりました!(つまり、衰えている)

つまり、痴呆などの症状が出てもおかしくない状態!

なのに、物忘れをするようになったとは言え、とてもしっかりしておられ


お医者さんも理由が説明つかない


と仰っていたそうです!


私達はこの話を

Rさんの息子さんから聞かせてもらったのですが、

その話を聞いて

『Rさんがしっかり意識を保っているのはYさんのことを思う力がそうさせているんじゃないかな?』

『Yさんだって、数年たっても症状に進行が見られない。これは御守護やな』

などと話していたのでした!


お二人は私が本当に小さいときからずっと可愛がってもらっており、


父の代から

教会に泊めてもらったり、ご飯を食べさせてもらったり、本当に親切にしてくださり、


何よりお二人は本当に仲が良く見えました(^^)



そして、妻が

『いくつになっても、寄り添える夫婦でいれることは幸せやな!』

と言いました


本当にその通りだと思いました!

私達天理教を信仰するものは

夫婦は陽気ぐらしをするための最小の単位であると教えてもらっていますが、

 例えば自分の妻が痴呆になったとき、


例えば、大怪我した時、寝たきりになったとき

 どこまで心を寄り添えられるのだろうか?

と思ったのでした!


いざというときの為にも日々喜んで生活させてもらうことは、

前回の投稿でも書かせて頂きましたように、大切なことです!

バランス
参照https://tanoshiminomichi.blogspot.com/2019/04/blog-post_26.html?m=1


しかし、一方で、やはり常に

油断しない…というか、当たり前に思わないことが相手を大切に思える第一歩なんだな、と思ったのです!


今日、明日何があるかわかりません。


突然に事件に巻き込まれるかもしれません


普段の生活が送れなくなることだってあるのです!(実際に父の件で感じました)

そして、それが起こったときに相手への感謝があるのか?
あればこそ、寄り添えるのだなと思いました!


ついつい結婚して5年目なんですが、


妻やからこその甘え、自分のだらしなさが出てきてしまいます。


なので、怒られてしまいます(笑)


しかし、怒ってもらえるのも愛情!(多分)


愛してもらってる内に、その言葉に感謝し、どんどん父として、夫として成長していき、

いつまでも寄り添える夫婦になっていきたいなと思いました(^^)

今日から令和元年ですね!

新たな気持ちで今日も通らせて頂きます(^_^)




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