心におさまっていなかったもの 〜事故に思ふ〜

こんばんは!
弟です。
相変わらず花粉すごいですね!
1秒でも早く目をシャワーで洗い流したい




前回は花粉症で有り難いなぁと
思う事を書きました。
今回は
「あ〜これ全然おさまってないやん」
と思う出来事があったので
そのお話を。





先日、事故?に遭いました。
畑の間を通る狭い道で。
妻と娘と出掛けていたんです。
信者さんの用事と買い出しに。


対向車が来たので、左に寄りつつ減速。
対向車はほとんど減速せず、
中央を走っていました。
「あ、これミラー当たるな」
と思うと案の定、
「バン!」
と音がしてミラーが
運転席側に曲がりました。


「うわー…」と思いつつ車を止め、
当たったところを確認すると、
幸いにもパッと見てどこに傷があるか
分かりません。

相手の車の方を見ると、
30mほど離れた所で手を×にして
頭を下げています。

「え?何で当ててきた側が
こっちに来ないの?」

と少しイライラしつつも妻と相談。
傷もあってないようなものだし、
「お互い気をつけましょう」
終わりにしようという事に。
娘も無事だし良かったじゃないと。



そう思って向こうを見ると、
車がそこにはありません。
少し先を走っていました。
おじいさん逃げました(笑)

「いや!それは違うやろ!!」
と呆れつつ車で追いかけましたが、
どこに行ったかわからなくなりました。



車内で
「逃げるのは違うわ。腹立つな〜」
とぼやいていると、妻が
「ホンマやな。でも娘も無事やし、
もうそれで良しにしよう」
と言ってくれました。



信者さんの色々の手続きをしに行く
途中だったので、
改めて目的地に向かいます。
その最中、様々な考えが頭を巡りました。


一番最初に出てきたのは、
ある会長さんがしてくれたお話。


車を追突されたにも関わらず、
その追突した運転手さんに
「貴方がもう少し
ブレーキを踏むのが遅かったら
私達は死んでいました。
貴方は命の恩人です」
という旨のお話です。



天理教を信仰する者は
こうあるべきではないのか?
そう思えてきました。



あの時、もう少し対向車が
こっちに寄ってきて、車体同士が
ぶつかっていたら…
横にあった溝に
車ごと落ちていたかもしれません。

そうしたら娘は無事ではなかったかも。
娘どころか僕達家族も…


僕からすればぶつかってきたのは
相手かも知れませんが、
助けてくれたのも相手なのです。


僕は自分が恥ずかしくなりました。
相手が一方的に悪いと決めつけ、
こちらが警察官にでもなったかのような
罰する立場にあると錯覚していたのです。

何と高慢な心。



また、僕がすぐに
相手のおじいさんの所へ駆けつけ、
話をしていたなら
おじいさんは逃げる必要もなかったし、
罪悪感も幾分かマシになり、
前向きになれたかも知れません。

また、実際におじいさんを追いかけて
捕まえていたら
僕は激怒していたでしょうし、
信者さんの用事も
間に合わなかったでしょう。

そう思うと、
おじいさんを見つけられなくて
良かったのです。



信仰者として、天理教の人として
できる事はいくらでもありました。
兄もこの件にツイートしてくれましたが
まず無事だった事を喜ぶべきでした。



天理教の教えが心におさまっているようで
全くおさまっていなかったのです。


それを妻の一言で
ゆっくりと、しかししっかりと
気付かされました。

相手のおじいさんにも
妻にも娘にも
何より神様に
申し訳ない心遣いをしたなぁ
と反省しました。





しかし、今気付けて良かった。
ここで気付かなかったら
もっと大きな事で
気付かされていたかも知れないですから。



妻の存在は本当に有り難いと
ひしひし感じました。

ミラーがぶつかった瞬時に
娘をかばい、相手のナンバーを
しっかり記憶していましたし(笑)



この出来事をしっかり受け止め、
これからの成人(成長)への
礎にしていきたいと思います。
これを糧にしていかなくては




事故に遭ったら
何もなくても警察を呼びましょう。
また、今回の僕のような
ケースになっても呼ぶか
警察署や交番に行きましょう。

でないと向こうが警察に
「こっちが当てられた!」
と言われてしまう事があるそうです。

皆さんも気をつけましょう!!


おわり。

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