みなさんどうも!兄です(^^)
今日は私の愛する子供たちについてお話させて頂きます!
私は2014年12月11日に妻と結婚し、
2015年10月29日に長女 結花
2017年10月10日に長男 孝晴
を授かりました。
前々から父から
『我が家には跡取りが育たないいんねんがあるんだ。』
と言われており、妻には
『もしかしたら、子供は授からんかもしらんな。』
と話をしていたので、
結婚してすぐに長女を授かったことには
単純に嬉しくて嬉しくて
本当に有り難いなぁと思っていました!
そして、当時のことを思い返してみれば
まだまだ新婚さんで、実家に空き部屋がなく、妻を受け入れる物理的なスペースが無いことから、私達夫婦は実家とは別に家をお借りして住んでいました。
そんな新しい環境で新婚生活が始まったわけですが、そのときの私の思いとしては
自分達が自立して両親に頼ることなく、生活を送ることが何より親孝行に繋がるんじゃないか!安心して我々を見てくれるんじゃないか?と思い、
とにかく何でも自分達の事は自分達でしよう!
と、両親から
『今日○○買ったからあげようか?』
と言われても
『大丈夫やでー』
『今日ご飯食べていく?』
『もう作ってきたから大丈夫やで!』
というふうに断っていました。
すると、
『あんたらは実家を何やと思ってるんや!!』
と
ある日呼び出しを受けた私達夫婦はそんなことを言われてもピンと来るはずもなく、
なぜ?怒っているのか?自分達は立派に生活していますよ!
と思っていました!
そんなことで、すこし両親と私達の思いがギクシャクしてる中でも娘はすくすくと成長してくれ、臨月を迎えました。
そして、今日は健診の日
突然妻から電話があり、神殿に呼び出されました。妻は泣いていました。
『赤ちゃんの成長が止まっている。今のままでは大きくならないから、強制的に産ませてから、おおきくなるように育てましょう』
こう担当の医師から告げられたそうです。入院は明日、明後日出産と予定も決まっており、
をびや許しも頂いているのに、なぜ?
という思いが私達夫婦を支配しました。
その後、実家にも様子を伝えるために二人で向かい、私はここでも、両親に心配をかけまいと、努めて明るく振る舞いました。
すると、
『こんな時に、何をへらへらしとんじゃ!!』
と今を思えば、当然の言葉…
でも、そのとき私は、両親の思いにそれでも気づけず
そのまま怒られて家に帰るのでした。
明日は入院だという日の夜
布団に入り、妻と二人でこの出来事についてどう受け止めたらいいか話をしていました。
色々と思うことを話していく内に両親の話になりました。
『今までは、自分達が自立することが親孝行だとばかり信じてきたけど、そうじゃない。親の思いに沿わないと意味がないんじゃないか。今まで親の思いに反抗して過ごしてきた。これからは、すぐには切り替えは出来ないかもしれないけど、両親の言葉には素直にはいと答えよう。明日とにかく両親に謝ろう。』
そう言って二人で朝まで布団に入ってました
(寝れませんでした)
そうして朝を迎えました。妻が母親に謝りのlineをした瞬間
おしるしが来て
そのまま陣痛が始まったのです。
『生まれる…?』
突然のことでびっくりしましたが、その日は遠方に研修を受けにいく日。行くかどうか迷いましたが、とにかく研修に向かいました。
夕方くらいに妻が病院に向かい、
私が病院にかけつけられたのは夜の9:00前でした。
助産師さん『まだまだお産は進まないからゆっくりいきましょう!』
かけつけてくれた家族は一度帰り、お風呂を済ませて再集合ということになりました。
私は妻に付き添い手を握っていました。
家族が陣痛室を出て家に帰った頃に
助産師さん『あれ?生まれます!家族の方呼び戻して!!!』
後々妻から聞いた話では、はやめの御供を頂くときに私の研修終わりにかけつけられる時間で仕切らせて頂いたとのことでした。
そして、私到着より約30分
長女結花誕生!!
本当にをびや許しの鮮やかな御守護により長女を無事に授けて頂きました!
長男のときも同様に
臨月で成長が止まりました。
でも、私達夫婦は大丈夫。
長女を授かったときの経験から
親に素直に
神様に凭れていれば
何も心配することはないと知っているから
そうして無事に長男も授かりました!
今では姉弟二人仲良くおもちゃを取り合いながらも仲良く遊んでいます!
私達家族はお産を通じて陽気ぐらしの家庭に一歩近づかせて頂けました!
これからも、世界一陽気な家族を目指して
毎日笑ったり泣いたり
たまに冷戦もしながら(笑)
過ごして参ります。
読んで頂きありがとうございましたm(__)m
今日は私の愛する子供たちについてお話させて頂きます!
![]() |
奥:長女 結花 手前:長男 孝晴 |
私は2014年12月11日に妻と結婚し、
2015年10月29日に長女 結花
2017年10月10日に長男 孝晴
を授かりました。
前々から父から
『我が家には跡取りが育たないいんねんがあるんだ。』
と言われており、妻には
『もしかしたら、子供は授からんかもしらんな。』
と話をしていたので、
結婚してすぐに長女を授かったことには
単純に嬉しくて嬉しくて
本当に有り難いなぁと思っていました!
そして、当時のことを思い返してみれば
まだまだ新婚さんで、実家に空き部屋がなく、妻を受け入れる物理的なスペースが無いことから、私達夫婦は実家とは別に家をお借りして住んでいました。
そんな新しい環境で新婚生活が始まったわけですが、そのときの私の思いとしては
自分達が自立して両親に頼ることなく、生活を送ることが何より親孝行に繋がるんじゃないか!安心して我々を見てくれるんじゃないか?と思い、
とにかく何でも自分達の事は自分達でしよう!
と、両親から
『今日○○買ったからあげようか?』
と言われても
『大丈夫やでー』
『今日ご飯食べていく?』
『もう作ってきたから大丈夫やで!』
というふうに断っていました。
すると、
『あんたらは実家を何やと思ってるんや!!』
と
ある日呼び出しを受けた私達夫婦はそんなことを言われてもピンと来るはずもなく、
なぜ?怒っているのか?自分達は立派に生活していますよ!
と思っていました!
そんなことで、すこし両親と私達の思いがギクシャクしてる中でも娘はすくすくと成長してくれ、臨月を迎えました。
そして、今日は健診の日
突然妻から電話があり、神殿に呼び出されました。妻は泣いていました。
『赤ちゃんの成長が止まっている。今のままでは大きくならないから、強制的に産ませてから、おおきくなるように育てましょう』
こう担当の医師から告げられたそうです。入院は明日、明後日出産と予定も決まっており、
をびや許しも頂いているのに、なぜ?
という思いが私達夫婦を支配しました。
その後、実家にも様子を伝えるために二人で向かい、私はここでも、両親に心配をかけまいと、努めて明るく振る舞いました。
すると、
『こんな時に、何をへらへらしとんじゃ!!』
と今を思えば、当然の言葉…
でも、そのとき私は、両親の思いにそれでも気づけず
そのまま怒られて家に帰るのでした。
明日は入院だという日の夜
布団に入り、妻と二人でこの出来事についてどう受け止めたらいいか話をしていました。
色々と思うことを話していく内に両親の話になりました。
『今までは、自分達が自立することが親孝行だとばかり信じてきたけど、そうじゃない。親の思いに沿わないと意味がないんじゃないか。今まで親の思いに反抗して過ごしてきた。これからは、すぐには切り替えは出来ないかもしれないけど、両親の言葉には素直にはいと答えよう。明日とにかく両親に謝ろう。』
そう言って二人で朝まで布団に入ってました
(寝れませんでした)
そうして朝を迎えました。妻が母親に謝りのlineをした瞬間
おしるしが来て
そのまま陣痛が始まったのです。
『生まれる…?』
突然のことでびっくりしましたが、その日は遠方に研修を受けにいく日。行くかどうか迷いましたが、とにかく研修に向かいました。
夕方くらいに妻が病院に向かい、
私が病院にかけつけられたのは夜の9:00前でした。
助産師さん『まだまだお産は進まないからゆっくりいきましょう!』
かけつけてくれた家族は一度帰り、お風呂を済ませて再集合ということになりました。
私は妻に付き添い手を握っていました。
家族が陣痛室を出て家に帰った頃に
助産師さん『あれ?生まれます!家族の方呼び戻して!!!』
後々妻から聞いた話では、はやめの御供を頂くときに私の研修終わりにかけつけられる時間で仕切らせて頂いたとのことでした。
そして、私到着より約30分
長女結花誕生!!
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我が家ではこの写真を梅干と呼ぶ |
本当にをびや許しの鮮やかな御守護により長女を無事に授けて頂きました!
長男のときも同様に
臨月で成長が止まりました。
でも、私達夫婦は大丈夫。
長女を授かったときの経験から
親に素直に
神様に凭れていれば
何も心配することはないと知っているから
そうして無事に長男も授かりました!
赤ちゃんちっちゃいねぇ! |
今では姉弟二人仲良くおもちゃを取り合いながらも仲良く遊んでいます!
結花3歳の誕生日 |
私達家族はお産を通じて陽気ぐらしの家庭に一歩近づかせて頂けました!
これからも、世界一陽気な家族を目指して
毎日笑ったり泣いたり
たまに冷戦もしながら(笑)
過ごして参ります。
読んで頂きありがとうございましたm(__)m
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